熊本ラーメン桂花ラーメン

東京で革命を起こした本場熊本ラーメン桂花。
この味を是非、皆さんで味わってください

梅ちゃんと桂花ラーメン(前編)

ワハハの歌姫・梅垣義明は、桂花ラーメンでのバイトで熊本の奥深さと出会う。

2021年10月28日(木)、新宿文化センターでの全体公演「王と花魁」から、ワハハ本舗の全国ツアーがスタートします。
12月の最終公演の予定地は九州熊本。
熊本といえば「桂花ラーメン」であり、「わたしは新宿のお店でバイトしていた」と口にしたのが、ワハハの歌姫「梅ちゃん」梅垣義明でした。ならば、梅ちゃんと今も働く先輩方が、昔話に花を咲かせる座談会は面白いだろう。世の中を明るく楽しく面白く、森羅万象を素材に遊んでしまうワハハ本舗が考えそうな企画です。熊本公演のオマケもいろいろと、座談会へ。
会場は新宿駅東口。スタジオアルタの横の路地を入ると、右の角に細長い階段で有名な「桂花ラーメン東口駅前店」があり、そのまま靖国通りへ向かった路地の右手「桂花ふぁんてん」地下2階が本日の会場です。
ステージでは決して見ることのできない歌姫の素顔と、桂花ラーメンのおいしさの秘密をお楽しみください。(構成・奥成 繁)

「梅ちゃん」が「ガッキー」だった時代。
無骨で不愛想で勤勉な店長に熊本の男を見る。

梅垣 (桂花ラーメンのスタッフが着る黒いTシャツに着替え)どうも、お久しぶりです(と、礼儀正しく二人の先輩と握手する)。

――梅垣さん、お二人をご紹介ください。

 こちら、ぼくの左側が浦上さんで、右が岩泉さん。画面を見ている人から言うと、右が浦上さんで左が岩泉さん。あれっ、かえってややこしくなるかな。

浦上 末広店の浦上裕正です。「うらがみ」とは濁らず、「うらかみ」と読みます。熊本育ちの65歳です。

岩泉 すぐそこの東口駅前店の岩泉恒雄です。盛岡出身の65歳。画面の左側です。

 真ん中が素顔の梅垣義明です。本物です。実物のわたしは、なんと、今日が62歳の誕生日なんですよ。

その場にいた全員 (起立して)おめでとうございます。(と、拍手。声をそろえて、♪ハッピーバースデーを合唱する)

 ありがとうございます。(お礼を述べて顔をあげた直後、表情を曇らせる)いけない、年齢をヴェールに包むべきシャンソン歌手が、バイト先の先輩との再会で素(す)に戻ってしまい、戸籍上の年齢を公表してしまった…。

――(無視して)では、一番古くから働いているのは、どなたなのですか?

 (手をあげて)1976か77年かな。高校の同級生がバイトやっていて、ゴールデンウイークになると忙しいから、お前も来て手伝えよって。それが末広店で、ずーっと44年、桂花でお世話になっています。

 私はアルバイトニュースを見て。今は駅前店です。

 まだネットなんてないから、ぼくもアルバイト情報誌だな。1984年に上京して、何かアルバイトせないかんので、最初に選んだのがここでした。桂花ふぁんてんがまだ一階にあった時代。時給550円。すごい安かったけど、劇団の稽古があるから、早番遅番でスケジュールの都合がつくように。それと食事が出来ることと、接客業に興味があったんです。

 私も二交代の魅力に負けました。お酒、嫌いじゃないんで、早番だと、夜はお酒が飲めるでしょう、二交代なら。

――みなさん、一緒のお店ではなかったのですか?

 たまに人手が足りないヘルプみたいなのはあったけど、三人とも新宿のお店が違うんです。みなさん、社員の先輩でしたが、バイトにやさしく接してくれたこのお二人なら、話しやすいかなって。何十年ぶりかの再会で、きょうの日を迎えた次第です。

 何十年ぶりだよね。梅垣が新宿を歩いているのは見たりするんだけど、声かけられなかった。有名になっちゃって。

 昔のバイトを、今でも覚えていてくださるなんて、ありがたいことですよ。とにかく話しにくかったのは、店長の梅本さん。

三人 (思い出して笑顔)

桂花ラーメンで
働いていた頃のガッキー

 別に嫌いじゃないの。ホントはいい人なんだけど、愛想がないっていうだけ(笑)。熊本は不愛想な人が多くてね、典型的なThis is 熊本の人間。背丈はぼくと同じくらいだけど、もっといかつい感じで。自分が「梅ちゃん」と呼ばれているから、お前はこれから「ガッキーだ」と、初日に言われたんです。

 (楽しそうに聞いている)

 ぼくのバイト時代に、メニューはラーメンだけ。ビールや餃子、ライスもなかったの。だから、お客さんに「ビールないんですか」って聞かれたら、「すみません、置いてないんです」と、普通は答えるでしょう。なのに、梅本さんはただ、「ない」ってそれだけ。トッピングとか大盛りの注文にも、全部「やってない」と、素っ気ない。サービス業、接客業なんだから、もっとほかの言い方あるだろうって。(40年近く前の記憶が蘇えったか、当時の店長への言葉に力がこもる)。悪い人じゃないんですよ。

 (にこにこ笑う)

――バイトが命じられる最初の仕事とは。

 掃除もあれば皿洗い。人が足りないところを、やってもらう。

 ぼくはなんでも覚えてやりましたよ。変な話、皿洗いとかどんぶり洗い、好きなの。家でも炊事とか洗濯、好きで、どんぶり洗ってて、あの底のところなんて言うの?

 土台?

 あそこもきれいに洗わないと、気が済まない性分で。

 梅垣は、いきなり麺上げやらされたんじゃなかったっけ?

 やらされましたよ。どちらかって言えば、桂花ラーメンは麺が硬いでしょう。キャベツも生で入っているし。だから、初めてきたお客さんはびっくりするんです。「これ、麺、茹でられてないんじゃないですか」ってクレームがある。すると梅本さんは「いや、これがうちのやり方ですから」って。デカいのがラーメンの笊(デボ?)を両手に、仁王立ち。客に喧嘩売ってるのかよって感じ。不愛想だけど、すごく真面目な人でね。(と、ガッキーは無骨な熊本人を演じる楽しさに目覚めてしまったらしい)。

 (にこにこ)

昔の新宿末広店

 ぼくはお酒弱いんだけど、昔よく行ってた下北沢のバーのマスターと客とのやりとりを見て、水商売で学んだことが一杯あるの。バイトしなくても生活できるようになって、桂花を辞めたあとだな。あのマスターも、やっぱり熊本出身だった。気が短くて、すぐに客を「きさん!」(貴様)と怒鳴る。無骨で不愛想は県民性なのかなあ。桂花のあとは、妙に熊本の人とご縁があって…。

 梅垣、お酒飲めないんだね。

 弱い弱い。

 前のふぁんてんの地下に「養老乃瀧」があったじゃん。ワハハの人、よく飲みにきてたよ。ねぇ。(と、岩泉さんへ)

 あった、養老あった。

 ありましたっけ?

 柴田(理恵)さんとか。

 柴田は飲むけど、おれは飲んでいないと思う。

 一緒に飲んだ記憶あるんだけどな。

 行くのは行ってましたけど、飲んでいたのはウーロン茶。

 ああ、知らなかった。

ウーロン茶で参加する梅垣義明

 実はぼく、ホント言っちゃうと、ラーメンが昔はあまり好きじゃなかったんです。なのに、ここでバイトするようになって、桂花ラーメンが好きになった。麺の硬さとキャベツの生がおいしいわけです。それが「売り」。でも、初めてきてびっくりするお客さんもいる。

 昔は結構いましたね。怒って帰る人も。「生じゃないか」って。

 あまり九州ラーメンがない時代でしたからね。関東の人たちがくると、「生だ」という声が多かったですよ。

 浦上さんがよそのラーメン屋さんへ食べに行っても、麺は硬めでしょ。

 当然!(笑)

 硬めといっても、これじゃあ硬くねぇよって。福岡でなんて言うんですか。

 ハリガネ。

 粉落とし?あのくらいじゃないと。おれ、カップ麺でも3分待たないもん。30秒くらいでバリバリ喰っちゃう(笑)。駅へ向かう途中のこの路地は、歌舞伎町で飲んできたお客さんも多いですからね。熊本出身のお客さんて、同郷の人が懐かしいのか、「お兄ちゃんも熊本なの?」って、よく話しかけられる。「はい」「どこ?」「八代です」って適当に合わせていたけど、そんなんをできないのが愛想の悪い梅本さんですよ(まだ言っている)。その頃は、女性誌でもよく紹介されて、お客さんが増えていた。まだ女の子が一人でラーメン屋さんに入りにくい時代だったのかな。一人でくる女性は、だいたい素敵な女性!ねぇ。

 そうだね。

 思いません?(と、岩泉さんにも確認)

 (大きくうなずき)うん。今でも。

 そうでしょう。今でもぼくの中で基準があるの。髪の毛をちゃんと結わいて、食べきれなかった時は、「残してごめんなさい」と、ひと言添える。あるいは、「おいしかったです」と言って帰る女性は、ホントかっこいいの。20代、30代、40代でも、ラーメン屋に一人で入れる女性はマナーがきちんとしている、素敵な女性。うちは実家が散髪屋で、親父に接客業のいろいろを教えられたし、ここのバイトで痛感したのかもしれないけど、自分が食事に行って食べきれなかった時には、「ごめんなさい」と言える人間でありたいと思いますよ。(胸を張る)

 (微笑みながら)成長したねえ。

理容室を営む父

 やっぱり、作る側がプロであるように、客としてもプロでありたいと思うのは、舞台に立つ今のぼくらも接客業だからね。ショーが終わって、お客さんに「面白かったよ」と言われるのと同じ、桂花ラーメンを「おいしかった」と、バイトにも言ってくれた喜び。ワハハの演出の喰始(たべはじめ)以外から学んだ多くのことは、桂花ラーメンだけでなくバーや居酒屋、新宿二丁目…、水商売、接客が大きいですね。ラーメン屋さんはお客さんと接する時間が短いですけど。

 おいしいからって、二杯目を注文してくれる人はうれしいもの。

 もう一杯、おかわりですか。バイトの時代には替玉がなかったから。

 替玉になった今でも、新規にもう一杯はいるよ。さすがに、三杯はいない。

 スープを最後まで飲み干して。

 (ふと、昔を想い)おれ、何杯食べたんだろうな。食事付きで、すげえ喰ったもん。

 ご飯付きは大事だった。アルバイトの学生とか、フリーターにとっては。

 ライス、なかったですもんね。

 ないない。ないからラーメンは何杯食べてもいい。ホントは2回までなんだけどね。

 そんなに食えないよ(笑)

 あの頃は「ふじしん」の弁当があった。

 ずるい! 土日だけでしょ。

 毎日だよね。

 毎日あったよ。

 来て、まず弁当。で、帰りはラーメンって感じ。

 おれらは気分を変えたい時、ベテランの高橋さんがラーメンの麺でやきそば作ってくれましたよ、すげえ硬いんだけど。そのおかげで、時給550円と二交代でワハハの活動を続け、生きていくことができたのかな。今にして思えば、長いのか短いのか、あっという間の1年半。

 おれ、聞いたことあるよ、帰りの車の中で、「いやぁ、アパートの水道、止められちゃった」って梅垣がポツリともらしたのを…。

 そういえば、家まで車で送ってもらってましたね。

 深夜1時の終電に合わせて、営業が12時45分まで。それから掃除して片付けして1時半くらいに、「送り」という同じ方向へ帰るスタッフを一人ずつ降ろしていく車(桂花号)があってね。方向が違えば、一緒にタクシーで帰ったり。

 岩泉さん、どこでしたっけ。

 荻窪。

 おれは阿佐ヶ谷だ。

 だから、一緒に帰ってたんですよ。

 桂花号に乗ってたの?

 そん時に、水道止められちゃって…を聞いたの。水、買って帰らなくちゃって…言って車を降りたの。

 相当お金なかった時だ。アパートの水道を止められるなんて。

 よっぽどの滞納じゃないと、止められないよ。

 おれはなんともないんです、金がなくたって。ただ、ある深夜に桂花号で降ろしてもらって、自分の家まで歩いている時に、普通のアパートの2階が見えたの。開いた窓のカーテンが揺れている。その一瞬だけ、泥棒入ろうかなと思ったことがあって。一瞬ですよ。

二人とその場にいた関係者が大爆笑

 実行はしてないですよ。結局、やる人間とやらない人間は、ちょっとの差だと思うんです。おれは、もちろんしなかったけども…。あたりまえか?

ワハハ本舗の面白さと、桂花ラーメンのおいしさの秘密に迫る!! 後編をお楽しみに(8月16日更新予定)

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